2007年10月30日火曜日

冬用チャリ

通勤で使ってた固定ギアの自転車のヘッドチューブが割れたので、使ってないロードと組み換えをした。
今朝はいつもより30分早く家を出てポジションの確認とかしながら、ゆっくり走ったけど感触がつかめず乗りにくかった。ちゃんと進むんだけど・・・・・
冬はこれで回転練習中心かなぁ、しばらくフリーの自転車しか乗ってなかったので軽く流すのにも慣れるまで楽にはならないね


skypeが携帯業界に参入するらしい。ロンドンで試験的に導入で月額約12000円で通話、メールし放題。おそらくPC経由も全部だろう。
値段が微妙・・・・・、skypeは私は使ってませんが、海外とのやり取りしている人なら2,3年前から常識ですから、企業としては安いのかもしれません。そのときから通話はタダだったし

2007年10月29日月曜日

今週は11月がやってくる

http://www.odbox.com/cycle/tonomura/event-report/2007italy/index.html
こういうのを見るとつい見入ってしまいます。


週末の境川トラックでは全9種目のうち表彰台は3種目でした。またもやスプリントは1/2まで進むも4位に終わってしまった。ハロンで2位上がりが出来なかったのが敗因でしょうね。

2007年10月24日水曜日

青い空

最近、毎朝空が澄んでいます。
青空がどこまでも続いてる・・・・・
いつもより10分早く出て景色を見ながらゆっくりと
ほんとに週末雨降るんやろうか
境川バンクでのレースがんばってきます。
目標は表彰台の真ん中を3つ

2007年10月22日月曜日

夏→冬


めっきり私の中では冬突入!!

朝晩しか乗らないので寒いんですよ

昨年までは毎年こなせた3ヵ月10000kmが今年は無理そう。先週、700km乗ってみましたよ。で、今は練習したくないぐらい足いてぇ・・・・・平日の距離がめっぽう少ないので土日で稼ぐしかない。土曜は河口湖目指すも途中で日没がやってきそうになって都留、雛鶴経由で、日曜は神流川沿いから志賀坂でした。2日で450km超え。フルタイムワーカーには辛いところです。


昨日のいでたちは、冬用手袋、ネックウォーマー、アーム・レッグウォーマー、それにウィンドベストでした。途中志賀坂の下りで11度っていう電光表示を見ました。シューズカバーもそろそろ必要です。
写真はR462のどっか

2007年10月18日木曜日

秋風が涼しく

何から書けばいいですかね。
まず、先々週末に行われたシクロクロス、こちらは即席で組んだ自転車にもかかわらず一応ちゃんと走れたんですが、1周目にチェーン落下。このトラブルが解消されないまま自転車交換をしたものの最下位決定!!だったけど、なんとかペースを取り戻し真ん中より少し下の順位でゴール。残り2周に入るところで小坂さんに抜かれ1lapとなってしまいました。

国体が終わってまだ2週間ほどしか経っていないのにすでに1ヶ月以上も昔のことのように時間が過ぎ去っています。ロードシーズンも終わったことだしそろそろオフトレを始めなきゃってことで、乗り込み開始です。←これがまた全然時間が足りないのです。このために仕事を早く切り上げられるわけではないところが痛いところです。今週末もレースはないので長距離のLSDをやってることでしょう。

国体では体力もだけど、それ以上に精神的ダメージが大きかったです。何もしない人、それが人の上に立ってやる指導者ですか!!って感じで最終日は切れてきましたが、果たして伝わるでしょうかね?誇張されて伝わると来年から国体には一切呼んでもらえないでしょうけど、そこは選手なので行動でしめさせてもらいます。向こうから直接オファーが来るぐらいにはしたいところです。私の国体での走り方や言動については賛否両論ありました。私としては間違った行動はやっていないはずですし、そのように考えています。もちろん否定される方の意見もすべて聞いた上での判断です。否定する考えに反対する気はありませんが私の意見もちゃんと理解していただきたいです。ココで書くのはコレぐらいにしておきます。これ以上書くと事が大きくなりすぎるであろう事とまわりに及ぼす影響も少なからずあるでしょうから。

2007年10月9日火曜日

国体ロード

国体ロードは9月30日でした。
今回のメンバーでは間違いなく角が一番速いと思われていました。しかし、それ以外にも速いメンバーの目白押しでどうなることかと思いました。
スタートしてから1周目はそれほど速くなることもなく無事に終わりました。1周目に逃げが決まらないということは2周目に決まることが多いというレースの常識から2周目はアタックに乗れるような場所にいました。のぼりではそれほど動きもなく淡々とこなした。2周目の下りで妙に前のほうで中切れが度々起こり始める。勘がよければココで逃げが決まることも予測できたのだが、経験不足から何度かのアタックには反応するも肝心のところで後ろの様子を見てしまい逃げに乗ることが出来なかった。差は一気に開き、第2集団の指揮を上げるべくローテに加わるも統率がなされず、脚を使わされる一方で3周目ののぼりで自ら下りました。

ポイントレースでは全く歯が立たず、10周ほどでDNF