2012年12月8日土曜日

スッキリ 引退する

気分的には何もモヤモヤしたものはありません。

やり残したこともない。

選手としては、幸せだったのでしょう。

国体にも4回、全日本選手権も3回走って、実業団でもトップカテゴリーで走れた。

足りなかったといえば、自分の実力だけで、、

落車で背骨を折ったときも半年後のレースで復帰した。

ロードに乗り始めて1年目から実業団登録し、その年の沖縄200kmで完走した。

一緒に切磋琢磨した友人も今でも自転車に乗っている。

いつも競い合っていたが、勝ったことはほとんどない。

1年目は走行距離は30000kmも走った。

逆に全然乗れない時期もあった。



指導者は、ラバネロの高村監督。

今でも、尊敬しているし、何でも相談にのってくれた。

ラバネロでは、自転車の基礎から戦術、練習方法、強くなるためのあらゆることを学んだ。

自転車選手として11年も走れたのは高村監督のおかげだと思っている。



東京を離れ、北九州に戻って、ブルーグラスで走ることとなった。

レースの数も一気に減った。

レースを1ヶ月に3レース以上こなしていた状況からは一転。

乗ることによってコンディションを合わせていたが、それが出来なくて、1年はコンディションの合わせ方に苦労した。

ラバネロでも、東京から地方に引っ越して、速くなった人はほとんどいない。

だからこそ、北九州に戻って遅くなることが嫌だった。

戻ってからの目標は全日本選手権と国体に照準を向けた。

その夢もかなった。

東京にいたころよりも練習時間も減ったが、内容を上げることによって、実力が上がったのかもしれない。



速くなろうとする若手にはいつも言っていることは、怪我と病気をしないこと。

あとは十分な食事と練習と睡眠で強くなれるスポーツである。

まずは第一に楽しむこと。

私の自転車での楽しみは、こうだった。

昔は、レースでとにかく勝つことだった。

その後は、レースで自分が主役となるように組み立て、他の人を動かして、結果的に自分が勝てるように仕向ける。

それが出来るようになった後は、さらに1段上のクラスで、自分がどのように動けるかを挑戦する。

こんな感じでした。



自分が納得できる形で選手を終えることが出来て、満足しています。

今までに関わった多くの人にありがとう。と言いたい。

今後はどういう形であれ、無理をしないで進んでいこうと思います。

1 件のコメント:

  1. たまたまだけど数か月ぶりに読みました
    一年に4回見にくるかこないかぐらいなんだけど虫の知らせか
    いや、寒くなってただ人恋しくなってるだけですわ

    君と知り合ったのは自転車がきっかけ
    これでようやくその鬱陶しい顔を見なくてすむのかと思えば
    シモター
    仕事も同じ電気関係ヤナイカー
    また飲みながら3割増しの武勇伝を聞きますわ

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