気分的には何もモヤモヤしたものはありません。
やり残したこともない。
選手としては、幸せだったのでしょう。
国体にも4回、全日本選手権も3回走って、実業団でもトップカテゴリーで走れた。
足りなかったといえば、自分の実力だけで、、
落車で背骨を折ったときも半年後のレースで復帰した。
ロードに乗り始めて1年目から実業団登録し、その年の沖縄200kmで完走した。
一緒に切磋琢磨した友人も今でも自転車に乗っている。
いつも競い合っていたが、勝ったことはほとんどない。
1年目は走行距離は30000kmも走った。
逆に全然乗れない時期もあった。
指導者は、ラバネロの高村監督。
今でも、尊敬しているし、何でも相談にのってくれた。
ラバネロでは、自転車の基礎から戦術、練習方法、強くなるためのあらゆることを学んだ。
自転車選手として11年も走れたのは高村監督のおかげだと思っている。
東京を離れ、北九州に戻って、ブルーグラスで走ることとなった。
レースの数も一気に減った。
レースを1ヶ月に3レース以上こなしていた状況からは一転。
乗ることによってコンディションを合わせていたが、それが出来なくて、1年はコンディションの合わせ方に苦労した。
ラバネロでも、東京から地方に引っ越して、速くなった人はほとんどいない。
だからこそ、北九州に戻って遅くなることが嫌だった。
戻ってからの目標は全日本選手権と国体に照準を向けた。
その夢もかなった。
東京にいたころよりも練習時間も減ったが、内容を上げることによって、実力が上がったのかもしれない。
速くなろうとする若手にはいつも言っていることは、怪我と病気をしないこと。
あとは十分な食事と練習と睡眠で強くなれるスポーツである。
まずは第一に楽しむこと。
私の自転車での楽しみは、こうだった。
昔は、レースでとにかく勝つことだった。
その後は、レースで自分が主役となるように組み立て、他の人を動かして、結果的に自分が勝てるように仕向ける。
それが出来るようになった後は、さらに1段上のクラスで、自分がどのように動けるかを挑戦する。
こんな感じでした。
自分が納得できる形で選手を終えることが出来て、満足しています。
今までに関わった多くの人にありがとう。と言いたい。
今後はどういう形であれ、無理をしないで進んでいこうと思います。
たまたまだけど数か月ぶりに読みました
返信削除一年に4回見にくるかこないかぐらいなんだけど虫の知らせか
いや、寒くなってただ人恋しくなってるだけですわ
君と知り合ったのは自転車がきっかけ
これでようやくその鬱陶しい顔を見なくてすむのかと思えば
シモター
仕事も同じ電気関係ヤナイカー
また飲みながら3割増しの武勇伝を聞きますわ